聖書の「バベルの塔」の物語は、創世記に記されています。この出来事は、人間の傲慢と分裂の物語であり、神が人々に異なる言語を与え、彼らを世界中に散らばらせたことを描いています。以下、できるだけ詳しく物語の流れをまとめます。
ノアの洪水が終わり、ノアの子孫たちは地上に増え、広がっていきました。この時代、人々は皆、同じ言語を話しており、コミュニケーションが容易でした。彼らは一致団結し、神に背かずに神を畏れる生活を続けるべきでしたが、やがて自分たちの力に頼り、神の御心に反する計画を立て始めます。
人々は東へ移動し、シンアルの平野にたどり着き、ここに住むことを決意しました。彼らは互いに話し合い、レンガを焼いて石の代わりとし、アスファルトを用いてモルタルにする技術を生み出しました。この新しい技術を活かし、人々は一致団結して壮大な計画に取り組みます。
シンアルの平野に住む人々は、天に届くほど高い塔を建て、自分たちの名を広めようと考えました。彼らの計画には「自分たちが有名になりたい」という欲望がありました。塔を建てることで自分たちの名声を高め、分散せずに一つの場所にまとまることを望んでいました。しかし、この行為は、神から与えられた「地に増え広がる」という命令に反するものでした。
人々の行いを見た神は、彼らの傲慢さを察しました。彼らが同じ言語を話し、協力して人間の力を誇示しようとする行動は、いずれさらなる悪への道を進む可能性がありました。そこで神は彼らの言葉を混乱させ、互いに通じないようにすることで、計画を阻止されました。
神が人々の言葉を混乱させた結果、人々は互いに意思疎通ができなくなり、建設の仕事を続けられなくなりました。彼らはやむなくシンアルの地を去り、地上のさまざまな場所へと散らばっていきました。この出来事の後、その地は「バベル」(混乱)と名付けられました。ここから、世界中に多くの異なる言語が広がったとされています。
このバベルの塔の物語は、人類が神の命令に逆らい、自分たちの力で天に達する高みを求めることの愚かさを示し、また、神が人類の傲慢に対して警告と裁きを与えられた出来事として記されています。このエピソードから「バベルの塔」という表現は、「言語や文化の混乱」を象徴する言葉としても使われるようになりました。